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大きな花火の輪がアメリカ中の夜空のキャンバスを彩る独立記念日も終わって、カリフォルニアにも本格的な夏がやってきました。 ナパ・ヴァレーに引き続き、先週はソノマ・カウンティのオークションも大盛況! サテライト・カリフォルニアの康子キャドビーです。バーベキューのおいしそうな匂いが漂うアウトドア満喫中、そんなカリフォルニアから7月のレポートをお届けします。 |
【目次】
1: ブエナ・ヴィスタ買収!
2: ソノマの町、いや街?
3: 初夏の畑から
4: サンルイス・オビスポのブルゴーニュ
5: ダイヤモンドマウンテンAVA認定
1:ブエナ・ヴィスタ買収!
■ 6月末日にあのブエナ・ヴィスタが買収されました
ブエナ・ヴィスタというと、アゴストン・ハラスティ伯爵という人物が1857年にソノマ・ヴァレーに創立した由緒あるワイナリーです。California Bonded Winery #1。商業を目的としたワイナリー第1号でもありました。
今でもワイナリーにいくとツタの絡まるレンガ造りの落ち着いたたたずまいに、背の高いユーカリの木が歴史を見守ってきたかのように立ち並び、カリフォルニアだってこれだけ古いのがあるんだぞって自慢したいがばかりに外部からのお客さんをよく連れていくものです。
カリフォルニアでは真の意味で老舗と呼ばれるブエナ・ヴィスタ。歴史を探ってみると一旦閉鎖していた時代もあったようですね。
1900年前後といえば、カリフォルニアのワイン産業が興隆していた時代であると同時に、フィロキセラの被害が出始め、ぶどう畑が少しづつ野放しにされ始めた時代でもあります。このあたりのぶどう畑は果樹園やホップ栽培に変わったそうです。
そして、それに追い討ちをかけるように襲ったのが1906年のサンフランシスコ大震災。ソノマはサンフランシスコから約100キロ足らずの距離ですから、もちろん、このあたりもロックンロール。大きく揺れました。この地震で実はブエナ・ヴィスタのセラーが崩壊したそうです。
その後に閉鎖となり、しばらくはその存在すら忘れられてしまいました。1940年代になって、バーソロミューという夫婦がブエナ・ヴィスタのあった大きな敷地を買取り、発見したのがハラスティ伯爵の偉大な業績跡。
さっそくワイナリーを復興させ昔の姿に復元しようと、ワイン造りに力をいれました。1979年になって、ドイツのラッケ・ファミリーの手に渡りました。その後、ラッケ・ファミリーは当時注目され始めていたカーネロスに畑を買って、そちらを生産拠点に移しました。
というわけで、今では、ソノマのブエナ・ヴィスタにいっても観光客を相手にしたテイスティングルームだけで、実は真剣にワイン生産を行っているのは、カーネロスの施設なんです。
「せっかく、ソノマに行ってみようと思ったのに」とがっかりしないでください。「一見の価値あり」ですから!
昔のセラーをうまく改造したテイスティングルームには、ワイングッズがそろい、ワインや料理の本も充実(特にカーネロスの本が手に入るのはここ)。週末になるとまるで観光地であるかのようにひっきりなしにやってくるビジターで賑わうワイナリーです。
■ アゴストン・ハラスティ
この伯爵については数少ないカリフォルニアワインの書籍にちらちらっと紹介されていますが、まだ聞いたことのない方のために、私流のご説明をば。
生まれはハンガリーでアメリカに亡命したのが1842年。ウィスコンシンで初めて羊を飼い、初めてホップを栽培し、初めてフェリーボートを通した人らしい。初めてのものに挑戦する野心家だったようです。
喘息の気があったために穏やかな気候を求めてカリフォルニアへとやってきました。でも、カリフォルニアって世界でもアレルギー、特に花粉症のひどい州なんですよ。
それはさておいて、ハラスティさんがカリフォル二アで本当にしたかったのは、そう、ぶどう栽培でした。きっとおいしいワインが飲みたかったのでしょうね。ワイナリーも建て、自力でカリフォルニア州政府と話をつけてヨーロッパに苗木採集の旅にもでました。もちろん、ヴィニフェラ種を集めるためです。
何かの本で読んだのですが、たくさんの苗木を集めて帰ってきたハラスティさんですが、カリフォルニア州は「それは事後承諾だ」といって費用は返済してもらえなかったそうです。それでも野心家の彼は、晩年になってニカラグアへ渡り、砂糖きびや織物の輸出を手がけていたのですが、突然行方不明となり、噂ではワニに食べられたとか。
ちょっと最後が寂しい人生でしたね(苦笑)。
■ 買収の話
で、やっと、買収の話なんですが。
昨年末から“SALE(売ります!)”のサインを出していたドイツ人のオーナー、ラッケ・ファミリーが経営規模の拡大からフォーカスを失い、手放す意向だというニュースは私のところへも伝わっていました。
世界中の大手ワイン&スピリッツ関連企業から問い合わせがあったようですが、イギリスに本社を置くアライド・ドメックという会社が買い取りました。ワイン流通に関わっている皆さんでないとそんな名前を出してもピンとこないですよね。
実はこの会社、すでにソノマ・カウンティにクロ・デュ・ボワという大きなワイナリーを持っています。ナパ・ヴァレーのウィリアム・ヒル、アトラスピークや、南カリフォルニアのあのピアス病で全滅し、一躍有名になったキャラウエィというワイナリーも同じ傘下です。
カーネロスの畑(287ha)とワイナリー、ヘイウッドというワインのブランド、それにソノマの重要史跡、ブエナ・ヴィスタを含めて支払った金額が8500万ドル也!日本円にしておよそ106億2500万円。
最近はこのようなワイナリー買収の話がよく目に付きますね。ここ2年ばかりを振り返ってみました。
□ 2001年3月 レーヴェンズウッド→コンスタレーション(カナンディグア系列の会社) 1億4800万ドル(185億円)
□ 2000年7月 アロウッド→ロバートモンダヴィ 4500万ドル(56億2500万円)
□ 2000年3月 マタンザス・クリーク→ジャクソン・ファミリー 4000万ドル(50億円)
なんとなくソノマ・カウンティのエリートたちがどんどん大手に買われてることに気づきませんか?
大手に移ることの利点は、もちろん、資金繰りがラクになることです。プロモーションをするにもお金。畑にも、人件費にも。ああ、確かにこんな時勢です。「おれんちだけはいくら札束つまれても売らんぞー!」というワイナリー、どうやったら見つかるのでしょうか。
2:ソノマの町、いや街?
■ ソノマという「街」
ブエナ・ヴィスタの話が出たところで、ついでに史跡ブエナ・ヴィスタ・ワイナリーのあるソノマの町をご紹介しますね。
書きながらも「町」にするか「街」にするか迷ったんです。私もしばらく住んでいたことがありますが、その当時(80年代)はためらいなく「町」にしていたはず。金物屋さんや本屋さん、洋服屋さんてな感じで商店街という表現がぴったりの町でした。
ソノマは歴史的な史跡も多少あるし、なんといってもワイナリー巡りに週末を過ごすのにぴったりのサイズですから、周辺の都市や全国からの観光客が、それを目的として集まるようになりました。きっと、ワイン消費が増え、もっと知りたい、見たいという人口が増えたのでしょう。
そんなわけで、ここ10年前ぐらいからめきめきとファッション性を高めて、センスのいいレストランやショップが立ち並ぶようになりました。それで、何となく「町」といってしまうと語弊を感じるんですね。
■ 銘醸ワイン産地、ソノマ・ヴァレー
ソノマは、正式にはソノマ・ヴァレーと呼ばれます。ナパ・ヴァレーがそうであるように、両方を山脈に囲まれた場所です。
もちろん、ソノマ・カウンティ(ソノマ郡)でもすぐれたワインを生産する地域として知られるソノマ・ヴァレーは、西側にソノマ山脈があり、その山脈の反対側、つまり海よりにあるロシアン・リヴァー・ヴァレーやサンタローザ、ぺタルマといった地区よりも気温は高くなります。
ただし、南にはカーネロス地区を控えていますから、サンパブロ湾からの強風が、涼しい気候に合った品種の栽培を可能にしています。
レーヴェンズ・ウッド、セバスチャー二、アロウッド、ベンジガー、ケンウッド、ランドマーク、カーマネ、シャトー・セントジーン、シュグ、クライン。ココまで名前を聞いてすべて飲んだことあるぞー、とおっしゃる方はカリフォルニアワイン通です。
ワイナリーの話も、と思ったのですが、今回は観光のインフォメーションにしますね。
■ ソノマ観光 ホテル編
ソノマ・ヴァレーを訪れるなら、お泊りはソノマ・ミッション・インをお奨めします。お値段は一泊249ドル(平日)、309ドル(週末)からとちょっと張りますが、150年前に発見された温泉水を利用して充実したスパを完備してます。
また、今年オープンしたばかりのピカピカのホテルも。こちらはダウンタウンに誕生しました。1800年代のあのソノマの雰囲気を上手にかもしだしています。その名も、ザ・ロッジ・アット・ソノマ。
カーネロスという隣接するレストランはソノマのワインカントリー・キュイジーヌを意識して、こちらも力が入ってますぞ。ミッション・インが定番のコースなら、こちらは新参のお試しコースです。一泊159ドルから339ドルと値段はやや親切。
ザ・ロッジ・アット・ソノマ
http://www.thelodgeatsonoma.com
■ ソノマ観光 レストラン編
さて、宿が決まったら、レストランのお奨め。ワイン好きはやはり食べることが先決ですからね。私のお奨めは、プラザの角っこにある「ザ・ガール・アンド・ザ・フィッグ」です。
ここはソノマ・ホテルという由緒あるホテルの1階にあるレストランで、フレンチ風にこぎれいに、しかも洗練されたメニューをそろえています。それでいてワインはすべてローヌ系品種! という気持ちいい思い切りのよさ(笑)。
ローヌやオーストラリアのワインもほんのちょっと入っていますが、このサイズのレストランでこれだけのカリフォルニア産ヴィオニエとシラーがワインリストに並んでいるところはちょっと珍しいですよ。
雑談ですが、このレストランに行かれる方は、ぜひお手洗いをご利用ください。Men、Womenというサインはありません。その代わり、男性側には「ケン」女性側には「バービー」とあります。ちゃんと、あのバービー人形がドアにくぎ付けされてます。マネージャーのゲアリーさん。見かけはまともですけど、レストランのスタイルといい、ワインのセレクションといいユニークな発想の方です。
ついでに。最近、もうひとつのレストラン「ザ・ガール・アンド・ザ・ガウチョ」もオープンしました。こちらはというと、ラテンの雰囲気ばっちり。ワインはスペインやチリ、アルゼンチン、そしてもちろんカリフォルニアも参加。メニューにはラテンの熱い情熱を感じます。型破りで、インターナショナルが同居できる、このユニークさがカリフォルニアです。
■ ソノマ観光 ワイン番外編
ワイナリー巡りと食べることでほとんど1日は過ぎ去ってしまいますが、体力の残っている方は、史跡巡りも、ぜひ。


ソノマはシティホール(市庁舎)を中心にプラザとよばれる広場があります。広場周辺には、メキシコ統治時代に兵舎となっていたバラック跡やその統治者であったヴァレホ将軍の家、ミッション、カリフォルニア・リパブリック(共和国)成立の記念碑など、歴史のストーリーは尽きません。またの機会にこの話はご紹介しましょう。お楽しみに。
こうやって見ると、ソノマ・ヴァレーも少しずつナパのようにワインが人を呼び、人がツーリスト産業を生み出す、そんな現象が起こっているようですね。ワインの力って凄い!
3:初夏の畑から
■ さて、お天気のレポートです
カリフォルニアの雨期が終わる時期は、だいたい5月の末。そのころになると「これが、最後の雨かなー」と、傘を心配しなくていい開放的な夏の到来が嬉しくなると同時に、収穫の時期までパッタリと姿を消す水滴にさよならしなくちゃいけないため、反面、寂しいような、芝生は大丈夫かなと心配やら。
私の住む北カリフォルニア(ナパ・ソノマ地域)では今年の春は4月20日にまとまった雨が降っただけでずーっと晴天の日が続きました。80年代も87年、88年、89年、90年と雨不足に困った時代がありましたが、旱魃サイクルにまた没入かとぶどう畑では水不足を心配し始めています。
6月は華氏100度(37℃から38℃)を超える週もあり(そういう日は夜になって快適な気温、20℃ぐらいになります)、7月にはいってちょっと夜の寒さ(13℃から15℃ぐらい)が戻ってきたかな? という毎日です。
そう、今年初夏の特徴は、いつもワンパターンでやって来る深い霧に包まれた朝が少ない。それだったんです。7月後半から8月にかけて、どんな気候がやってくることやら、これがヴィンテージの面白さかもしれません。
■ 霧のパターン
カリフォルニアの気候を説明するときに必ず出てくるのが霧の影響です。霧を知らずしてカリフォルニアワインを語るなかれ。え、そんな諺きいたことない?
カリフォルニア州沿岸を流れるアラスカ海流は、その名のとおり北のアラスカから流れてくる冷たい寒流です。しかも、北カリフォルニア沖の深海には地球の自転によって海底から冷却水が湧昇する現象が起こります。さあ、ここからちょっと力がはいりますから、目が疲れた方は飛ばし読みしてください(笑)。
こうやって冷たい水は海面へと押し上げられてくるのですが、夏の間、太平洋沖の高気圧空気塊と陸側に発生する大陸性低気圧塊の間に生じる気圧の差によって、海から沖に向かって風が発生します。そして内陸では太陽熱により気温は上昇し、温まった空気が上昇するに従って、海からの冷たい空気はその下をくぐるように吸い込まれてきます。
海底から上昇してくる冷却水は霧という小さな気体となって流れ込むわけです。
気温が上がると霧は蒸発し、あの灼熱の太陽が顔をだします。低価格帯のワインを多く生産するセントラル・ヴァレーはサンフランシスコから200キロぐらい離れていますから、もちろん、沿岸地域より気温も上がりますが、それでもサンフランシスコ湾の北端から流れ込む霧の影響があります。ただ、霧に覆われる時間帯が短いだけです。
冷却と加熱によって生じるセントラル・ヴァレーと太平洋沿岸の温度差は、霧の引っ張り合いの原因です。霧の出るパターンとしては、週のうち3日ほど霧のかかった朝夕が続くと、残りの3日は霧のでない暑い日というのが一般的です。その暑い日でも夏の間、数回は“猛暑”といえる砂漠のような天気がやってきます。
このように霧の出没は、カリフォルニアのぶどう産地にクーラーのかかったような涼しい成育環境をもたらします。雲一つない乾燥した日中の温かな気候が糖の生成につながり、夜間のこの涼しさが酸をきっちり残してくれるお陰で、ワインはヴォリュームと酸とがバランスよく仕上がります。
良質なカリフォルニアワインの成功の影には、霧という自然の恵みがあったのです。
■ ぶどうの成長
そこで一番気になるぶどうの今年の成長具合ですが、どの栽培家に聞いても、「今年は2-3週間早い」と異口同音。「97年のヴィンテージに似ている」と。でも収量は97年ほどではないようです。
栽培家のみならず、醸造家たちも色づきが始まる7月末から8月になると畑通いが頻繁になります。ぶどうの成長をきめ細かく見張るためです。質の高いぶどうを得るためには削房作業といって成育の不均一な房、遅れている房、傷の多い房など、ぶどうの均一した、しかも完全な成熟を達成するために、房を切り落としていくんですね。間引きです。
このテストに落第した房たちは土に落とされますが、残った優等生たちのために頑張ってねと肥料と化していくわけです。今年は9月頭には「待ってました、収穫でーす!」というニュースが送れるかというと、いやいや、まだこれからが勝負です。
今、私が一番心配しているのは、イーエックス・ワインのCEO、永野寿子さんがカリフォルニアに来ることです。彼女は雨女なんです(内輪の話でごめんなさい)。なんせ昨年は雨だけでなく地震まで呼んでくれましたから……。
4:サンルイス・オビスポのブルゴーニュ
■ サンルイス・オビスポ
サンルイス・オビスポといわれてもピンと来ない方が多いのではないでしょうか。
縦に長ーいカリフォルニアの地図をみると、2つの大都会、北にサンフランシスコ、南にロサンゼルスがあります。その調度中間点にサンルイス・オビスポというカウンティ(郡)がみつかるはずです。
ここはアメリカ人でも聞いたことのない人がいっぱいいますから、「え、知らなかった」と羞じる必要も心配する必要も全くありません。
このカウンティは非常に広く、ぶどう栽培の観点からみるとある意味でソノマ・カウンティによく似ていると言われます。なぜなら、その面積ゆえに、様々な地勢や気候が存在するからです。
ですから、カウンティ北部のパソロブレスでは温暖な気候に合うボルドー品種やジンファンデルが、そして南に下るにつれてブルゴーニュ系の品種が盛んに栽培されています。そして、最近は、ローヌ系品種が凄いスピードで増えてますね。そうなんです。それで、ここはソノマ・カウンティみたいだって説明したんです。なんでも育っちゃうって感じなんですよね。
この地区のワイナリー協会の方たちはとても熱心で、ナパ・ヴァレー、ソノマ・カウンティに続いて、「次の座は私たちがいただき!」とワインのプロモーションに全米を駆け回っています。
そこで、こんな話をしてくれたことがあります。
サンルイス・オビスポ・カウンティというのはとても知名度が低く、いかにその名前を世間で認知してもらおうかといろいろ工夫をしているのだとか。まずは、覚えやすいパソロブレスからプロモートしていこうと、敢えてサンルイス・オピスポというカウンティ名は避けてきたという裏話。
しかし、私はパソロブレスだけでは説明しきれない彼らの実力が露出してきていると思うんです。
パソロブレス地区から101号線(これはカリフォルニアを貫通する幹線高速道路のひとつ)をずっと下ると、サンルイス・オビスポというカレッジタウンがあります。カル・ポーリと呼ばれる州立の大学は農学部に力が入っていて、そこの卒業生でワインメーカーや栽培家になっている人もたくさんいます。
サンタバーバラを小さくしたようなこじんまりとした街、サンルイス・オビスポからさらに南下。すると、私が勝手につけたニックネーム、「サンルイス・オビスポのブルゴーニュ」、エドナヴァレーとアロヨグランデがあります。
AVAに興味のある方はすでにご存知のように、この2地区はすでに栽培地区として正式な認定を受けています。
エドナ・ヴァレーは、モロ・ベイという海岸から南東に向かって直接流れ込むサンルイス・オビスポの街外れにあり、小高い丘がその冷たい空気のクッションとなり、ぶどう栽培を可能としています。海に近いことから想像できるように、かつては海底だったこのあたり、隆起と地震活動を繰り返しながら粘土、貝殻、砂が混合された土壌となりました。加えて活火山の跡形も多く見られ、土壌の中には火山性も混ざるといった複雑さ。
一方、アロヨグランデはエドナと肩を寄せ合うように隣接しているのですが、こちらはピスモ・ビーチ(ここは絶景。写真がなくて残念です)のあるサンルイス・オビスポ湾から冷たい海風が直接吹き付けます。そして、見つけました。チョークの土壌です。アロヨグランデにあるアルバン・ヴィンヤードに行ったとき、ジョン・アルバンさんが「ほら、字が書けるだろ」とチョークの塊を握って説明してくれたのを覚えています。
近年、このあたりは涼しい気候とユニークな土壌に目をつけた生産者たちが、ピノ・ノワール、シャルドネ、シラーを中心に栽培を広げ、新しいワイナリーやブランドが次々と誕生しています。
ジョン・アルバンさんは、この地でローヌ系品種の普及に大きく貢献されている栽培・醸造家です。今回、サンルイス・オビスポのブルゴーニュなんて私、謳ってますけど、将来の行方は楽しみですよ。
■ エドナ・ヴァレーの功労
なかなか日の目を見なかったこの地区を有名にしてくれた功労者は、なんといってもエドナ・ヴァレー・ヴィンヤードです。
シャローン・グループというワインの会社の傘下にあり、独自のスタイルでエドナならではの実力を発揮。エドナは特にシャルドネで知られています。控えめな樽使いによる果実の表現、ミネラルの感じられる味わいはきっちりとした酸によってさらに美しく感じられます。
同じセントラル・コーストなのにモントレーに特有なあのパイナップル感はないんですね。ワインって凄いだけじゃなく、不思議!
5:ダイヤモンドマウンテンAVA認定
■ American Viticulture Areas
AVA(American Viticulture Areas)はアメリカ政府が正式に認めるぶどう栽培地域のことです。業界の人はみな「エー・ヴィー・エー」と略して使うこの制度。フランスのAOC、原産地呼称とは似ているようで全く違った代物です。
1978年に制定されたこの認定制度は、アメリカのぶどう産地を公式に認知しようという、いってみればワイン産業発展の流れでは当然の動きでした。
これは私たち日本人には理解しづらいところなんですが、なぜか、BATFという政府の銃砲類、タバコ、そしてアルコールが一括して取り締まる機関の直轄です。
話が長くなるのでアルコールがアメリカ文化の中でどう理解されているかはまた別の機会にしますが、AVAとして認められるには、その地域、地区がなぜその名前を付けて差別化するほど理由があるのか、そのAVA特有の土壌、気候、地勢などが存在しなければなりません。
今年の5月31日。ナパ・ヴァレーの北にあるダイヤモンドマウンテン地区は、BATFにより正式にAVAとして認められました。
ダイヤモンドマウンテンといえば、スターリングのダイヤモンド・ランチもあるし、あの高価なダイヤモンクリーク・ヴィンヤード、ロコヤ、コンスタント、フォン・ストラッサーなどとすごーい実力派ワインが生まれています。
このあたりは火山性の土壌で、タンニンのしっかりした長期熟成タイプのワイン(ほとんどが赤品種)が生産されます。なぜダイヤモンドというかというと、土のなかに黒いガラス石がまざっていて、光に反射するとキラキラとダイヤモンドのように見えるからだと聞いたことがあります。あれは黒曜石ですね。インディアンたちはあの尖った石で矢先を作っていたそうです。
AVAの大きな特色としてこの制度は、AOCなどと違って品種、収量、栽培法、醸造法のルールがないことです。ただし、そのAVAで生産されたぶどうが85%以上使われていなければ、AVA名をラベルに記載することはできません。
今からリリースされるナパ・ヴァレー、しかもダイヤモンドマウンテン地区産のワインにはラベルにダイヤモンドマウンテンという地区名がお目見えです。
■ AVAとアぺレーション、どう違うの?
AVAの意味はおわかりになりましたか? では次はアぺレーションです。フランス語ではアペラシオン、名称という意味です。
AVAという言葉自体、一般の消費者に堅苦しい得体の知れない印象を与えることから、アメリカではマーケティングの都合からアぺレーションという表現がよく使われています。
アぺレーションというと、ナパ・ヴァレーだとか、オークヴィルだと、オークノールだとかその生産地区を表す、もっと気軽な言い方です。AVAとして認定されていようといまいと、わかりやすく生産地を理解することができます。
わかりにくかったらお気軽にご質問のメールをくださいね。
【あとがき】
ああ、今回は思いっきり歴史の話ができました。
国の歴史が浅いだけにワイン造りの歴史も超短いカリフォルニア。いつもフランスやイタリアの歴史を読むたびに、こんなにかっこいいこと書けるといいなぁと思っていました。「これはなんと1800年代に建てられたOXです。」なんて説明すると、「あっ、そ」とないがしろにされると、そりゃつらいもんです(笑)。
ワインも同様で、歴史は短いですけど、それなりに皆スタイルの確立を短期間のうちに必死で追求しようと、土壌や栽培、醸造の研究に全力疾走しているアメリカの生産者にも拍手喝采してくださいね。買収によって資本が入るということは、よくしようという意図があることですから。






