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負けないように
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「photo.T Yanagi」 |
何年も前の曲でこのフレーズがとても気に入っているし、この曲は僕に少なからず影響を与えてくれている。僕は結構、影響を受け易い性質で、尊敬する人や好きなアーティストやスポーツ選手の言葉やスタイルを自分になぞらえながら生きてきた。
これにはいつも明確ではなく、個人が自分なりに考えるものといったほうがいいだろう。
田崎さんは世界大会の優勝を機に、ソムリエという職業を、ワインの楽しみ方を世に広めることをご自身の役割としてきた。
僕の鏡となっていた方に着いていくことこそ、自分に課せられたソムリエとしての役割だと、田崎さんが声をかけてくださる外での仕事に積極的に参加した。それはとても勉強になったし、収入の足しにもなったので有難かった。
ウィーン大会が情熱大陸で取り上げられた後はワイン関係者以外からも知られるようになり、イベントなどでは芸能人みたいにサインを求められたり、写真撮影を頼まれたりと、すっかりいい気分だった。自分では気をつけようとしていた浮ついた気持ちや、“自分しかできない仕事を”という思いが自然と生まれていた。
現場はもちろん大事。でもバランスをとりながら、上手くできるような気がしていた。
でも実際にはそんなに簡単ではなかった。現場を空けがちなことは職場のメンバーからも(後輩からも)指摘されるようになった。外での活動もそれほど上手くいっているようには思えなかった。本当にこれは自分ならではの仕事なのかと疑問に感じていた。
セミナーにも矛盾を感じていた。内容は年々下がってきているように思うし、どうも引き出しを開けて、ネタを取り出し、話すというような習慣がついてしまっていた。これは自分のためになっているか。
何より、こんなことをみんな(一般の人たち)に話してみても意味があるのだろうかという思いが重い足かせとなって、話が詰まりがちになってしまうのがきつかった。
ワインスクールはソムリエ認定試験を目指す人たちで連日一杯だった。その教壇に立てば尊敬の目でみられるし、クラスの内容も誰がしても同じようにできるようにカリキュラム立てがしてあったので、おいしい仕事だった。
それでも“内容のある講義を”と力を込めてテキスト以外のこともたくさん話した。でも参加する人にとって一番興味があるのは、どんな問題がでるのかや、どうしたらテイスティングでポイントを稼げるかだった。その時だけみんなの顔が上がるクラスの風景を見るのが空しかった。
どうやら認定試験対策は情報戦らしい。去年は何がでているから今年はこうなりそうだとか、ブラインドテイスティングはイタリアがでるとか、という声がよく聞こえてきた。
“今年はどんな問題がでるか教えて欲しい”と露骨にきかれたこともあった。
これくらいでショックを受けるようじゃ、この世界で生きていけないのかな。
楽しむワインコース(自由が丘ワインスクール)とスペシャルクラス(田崎真也ワインサロン)は楽しかった。テーマを自分で決めて、コメントをあてないで話さなければいけなかったので、その準備のため調べたことはとてもよい勉強となった。そしてそれをみんなにわかるように噛み砕いて話すのでそれらの情報が効果的に頭に入っていった。
テイスティングも同様で、キャラクターの似通ったワインの違いや機会の少ないアイテムの個性などが把握できたし、テイスティングテクニックの整理にもつながった。
ソムリエは広がりのある職業なので同じタイトルでも、レストランに集中する人、セミナーやメディア活動に精を出す人。ホテルのソムリエ、街場、オーナー、支配人兼…と十人十色で考え方も様々である。
僕は1998年、2000年日本代表ソムリエという責任を守るため、外での仕事は慎重に選んだ。テレビ出演(これは依頼自体もほとんどなかったけど)、一般誌、特定インポーターのプロモーションなどはほとんどお断りした。例外は田崎さんが絡むものとトゥールダルジャンからの依頼によるもので、これらにはできるだけ参加した。
ソムリエ人気は相変わらず続いている。セミナー、イベント、出版、コンサルティング…。自分は乗り遅れていないか。今、キレイ事を言ってはコマーシャルなことを遠ざけているが、このことは将来の自分にマイナスになっていないか。妬みを伴った、迷いや不安があった。コンクールでいい結果をだす。一時はこのことだけがその迷いを晴らすものとなっていた。
いいことをしていれば必ずいいことがある。そう信じていた。
1998年のウィーン大会と2000年のカナダ大会という2度の世界コンクール出場は僕にとってまったく違うものだった。
ウィーンの時は田崎さん(世界大会優勝)の後だし、他のソムリエのほうがよかったんじゃないのかとか、そんな体裁を気にしていた。帰ってきてからは、現場でしっかりと働かなければと思いながらも、つい損得勘定で動いてしまうし、無駄な時間というものをとても嫌っていた。ワインスクールの仕事もたくさんした。自分を完全否定するつもりじゃないけど、今思うとやっぱり違っていたような気がする。
2000年カナダ大会の時はどうかというと、まず準備段階ですでに大きく違っていた。今度失敗したらどうしよう、恥ずかしいなんて一度も考えなかったし、こんな問題はでないよなと思うより、やっておけばいつかは役に立つかもと前向きだった。結果より自分自身が成長することが大事なんだと考えられるようになっていた。
大会中は、“日本”が僕の代名詞となっていた。そのせいからか個人的なことより、広い視野で物事を捉えるようにもなった。
自分が勝てればいいのではない。日本が常に勝つべきなんだ。
その大会直前、レストランの支配人から
“外での活動を抑えるわけにもいかないから、社員以外のポストも考えたらどうか”とのアドヴァイスを受けてから、今後どうあるべきか考えていた。
メディアはもう相手にしてはくれないだろう。ワインの店ブームも過去形だ。でもセミナーはやりがいがある。もっとクリエイティヴに、エンターテイメントとしてとらえ、面白いことができそうだ。
セミナー(スクールの講師)は続けていこう。
こう決めたのは去年の春か夏くらいのこと。
講師を務めるのは自由が丘ワインスクール、田崎真也ワインサロン、シャンパーニュアカデミー。どこも仕事のとてもしやすいスタッフと環境に恵まれている。
でも認定試験対策講座はやめることにした。
去年(2001年)、行われた2つのコンクールは僕にとって発見があったし、この決心に影響を与えるものだった。
第3回コミソムリエコンクールと第2回全日本ロワール若手ソムリエコンクールである。
ファイナリストのレヴェルは素晴らしいものだった。
情熱、知識、人間性において素材は確かだと感じた。何より、今後彼らがもっと伸びるのではないかと想わせるのは、横のつながりの強さだ。みんなコンクールが終わっても、連絡を取り合っているようだし、テイスティングやコンクールにも揃ってやってくる。これは本当に大きい。 情報交換がいつもできるし、競争意識も生まれてくる。モチベーションも自然にあがっていく。こういったよい“つながり”があると、個々の可能性は最大限に引き上げられる。本当に期待ができる。
では足りないのは何か。 教育を受ける環境とそれを実践できる舞台である。
素晴らしい環境と大きな大きな協力を得て、ここまできたことには心から感謝をしなければならない。そして、自分も自分が受けたくらいのことを残していきたいと思う。
そう思って始めたイーエックスワインだがもう一つ、
ワインスクールの講師をするようになってちょうど5年。自分自身が卒業するのにいい頃だ。 スクールの講師をしていると言われるのが嫌だった時もあった。クラスの人たちから“先生”と呼ばれるのも。でもこの5年間でたくさんのことを学ぶことができた。
これからはそんなたくさんのことを何一つ無駄にしないように、自分を振り返りながら、蓄積し、消化して、成長を続けていきたい。
企画、プログラム、タイムスケジュール、知識、テイスティング、ワインの発掘…
とてもいろんなことを学べるこの場所を十分に活用してもらいたいと願っている。
そして新しい世代、さらに次の世代と、より高いレヴェルへと発展していって欲しい。
花には花束と地の咲く花とがあって、花束のほうは華やかで、いろんな人たちにアレンジしてもらえる。いつもハレの舞台でみんなに喜びを与え、それで金になる。
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「photo.H Ishida」 |
地に咲く花は、踏みつけられることもあれば、風や雨に吹かれることもある。いつも周りのものとひしめき合っている。でも目立ちはしないが人を和ませるし、毎年何度でも花を咲かすことができる
そんな花になりたいと思う。
これからはソムリエとしてプロ意識をもっともっと高めて、いい仕事していきたい。自分らしさやスタイルに閉じこもることのないよう注意しながら。
そして2006年に大きな花をもう一度咲かせたい。
負けないように
枯れないように
笑って咲く花になろう
ふと自分に迷うときは
風をあつめて 空にはなつよ
心の中に 永久なる花を咲かそう
Mr.Children, 花―Momento-Mori アルバム「深海」1996年

