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コンクール 2

 

ソムリエとしてその情熱をコンクールにも向けていきたい、またもうすでにいくつかのコンクールでそれなりの結果を修めた。そんな新しい世代にこのコラムを贈りたい。

 

■次の日本代表

次の日本代表 2000年10月。カナダでの世界大会で一応の形をつくり、戻ってきた僕の最初の仕事は全国若手ソムリエコンクールの審査員だった。

僕もようやく若手とは呼ばれなくなり、後進がどれくらいのレヴェルなのかを一歩引いたところから見る機会を嬉しく思うと同時にとても期待に胸を膨らませていた。

このコンクールは世界大会などと同じく、審査は筆記、テイスティングが一次となり(100人弱がエントリー)、サービスとテイスティングで構成された2次がすぐに続く(10名強が臨む)。そして5名のファイナリストが選ばれ、一般公開による決勝審査(サービス、テイスティングなど)が行われる。出る側にとっては、とても長い、タフな一日となる。

筆記試験は僕がほとんどをつくった。世界大会の余韻の中にまだいた僕は、

「次の日本代表は君だ!」

とばかりにハイレヴェルな問題をつくった。

近年の傾向は栽培や醸造などの知識をより深くというより、世界の生産国、歴史、文化、人物、生産者についてなど、一般教養的なより幅広いものを求めるようになっている。

 

■コンクールは残酷

トゥールダルジャンからは3名がエントリーをしていた。みんなコンクールの経験がないので、通るのは難しいだろうと思っていた。その内2人はソムリエの経験もない。

試験会場の顔色からするとみんな苦戦の模様だった。

「本選出場者が決まったから発表してくれる」と、リストを渡された。

後輩の名前が2つもあった。でもソムリエである、通れるはずの後輩の名前はなかった。

彼に不利なことがあったわけではないので仕方ないといえばそうなのだが、やりきれない瞬間で「コンクールって残酷だよな」と初めて思った。

彼は毎日の業務を確実に几帳面にこなし、セラーの状況をしっかりと把握している(僕よりも)、たたえるべき仕事を現場で行っている。一緒にフランスに行ったときもすごく熱心だった。通って欲しかった。

 

■運と演技力

コンクールは運こそ勝負のレースで、結果イコール実力ではない。もう一つ、向き不向きというのもある。あがり性、誤解されやすいタイプ、審査員との価値観の違いなどなど。

こればかりはどうしようもない。訓練では身につかないし、あきらめるしかないのか。

個人的にはあまり認めたくないのだがコンクールでのサービスと現場でのサービスは違うところが多くある。現場では

「お味見してもよろしいでしょうか」

「素晴らしい状態でございます」

「コルクも問題ございません」

「お味見をお願いいたします」

といったソムリエ接客用語とも思われているセリフを使うことはない。

これができるかどうかは実力というより、もはや演技力の問題。

 

■意地悪な課題

そのコンクールでのセミファイナルの審査はいままでにないものだった。

「24名のパーティーを受注している。予算、メニューは決まっている。用意をするワインを提案しなさい」

というもの。

ここでのポイントは予算、主旨にあったワインを用意する本数まで提案するかである。

「ずいぶん意地悪な……」 との声があったがそんなことはない。

「シャトー・ラトゥール1970をデカンタージュしてください」より、はるかに頻繁に現場で起こっている場面である。

予約を受注する。ワインを決め、準備をする。レストランの日常である。

 

■ふたたび1996年全日本コンクール

僕がファイナルですすめたワインは現場で扱った経験のあるものだけだった。その頃の僕の経験や銘柄に対する知識は恥ずかしくなるくらい浅かった。

その浅い実力を改善して臨んだはずの世界コンクールで僕が犯したミスは、コースメニューにあわせて、全て違う国のワインを勧めなさいという課題でフランスを3回もダブらせてしまったことである。

前回のコラム「Vol.8−コンクール【1】」を書いていてため息がでたところがあった。96年のコンクールですべて違う国のワインを勧めているのである。世界中のワインをある程度経験し、あらゆる面においてあの頃より成長したと実感していた僕は5年前の自分より劣っていたのである。

 

■少し寄り道

「人間の成長って、こんなもんなんだな」と思った。

とかく新しいものへとすすんでいきたくなる現代だが、宇宙開発、遺伝子操作、ロボット、インターネットと進化をつづけているようだけど、人間自体はギリシャ時代からそんなに成長していないわけだし。

話が大げさになったけど、成長は少しずつ、過去の自分の積み重ねうえに成り立っているものだと痛感している。

 

■深読み注意

コンクールの落とし穴は深読みである。経験を積めば、積むほどその読みは深く、多方面に広がる。その結果、本音で語れなくなる。

当時(1996年)はコンクール仕様に演じるなんて余裕はなかったし、現場でもワイン、ワインといっているような雰囲気でもなかった。本音しかだせないその頃の僕のコメントやリコメンドは逆に受け入れやすいものだったのだろう。

 

■プロ意識

コンクールの結果を左右するものは何かというと結局は毎日である。日常の繰り返しのなかで基本を大事にしながらいつも疑問意識をもって過ごしているか。

グループ客でメニューはおまかせ、飲み物の予算はあまりない。ソムリエにとって恵まれているとはいえない条件。しかしその範囲のなかで最大限にプロとしての自分を充実させるだけの仕事を心掛けているかである。

1998年ウィーン大会ファイナルででた課題、

「マスのオーブルー(冷製)とイノシシの煮込みに合うワインは何ですか」

も、毎日を考えたらそんなにトリッキーな課題ではない。メインディッシュが魚あり、肉ありのバラバラなオーダーが日常で、みんなが同じ料理をとるほうが非日常。

「どうせ、両立するワインなんてないから……」より

「なんとかバランスがとれるワインを……」と、日ごろより考える姿勢が思わぬところで必ず成果となって現れる。

それがプロ意識だと思う。これにはセンスも才能もいらない。

イチロー選手のあの素晴らしいプレーは「天才だから」ではなく、とてつもなく高いプロ意識から生まれるものだと思う。

 

■このあたりは試験にでますよね?

「こういう課題はやっておいたほうがいいですよね?」

とよく聞かれる。答えはいつもイエスだけど、「試験にでるから」という下心は捨てたほうがいい。「自分のレヴェルアップのために」という意識が大切なのである。

経験のある人も多いと思うが、試験のためだけに覚えたものというのはそれが終わるとキレイさっぱり、どこかへいってしまう。

何に対してでも(ソムリエに関係のないものだとしても)プロ意識をもって捉え、毎日を過ごす。僕が思うコンクールにつながる1つめのポイントである。

 

■ソムリエとメートルドテルの違い

ソムリエとはワインプロである前に接客のプロである。そしてお客様とのコミュニケーションがいわば短距離走のように一瞬で決まってしまう。

メートルドテル*ならチャンスはたくさんある。お客様を迎える、料理のオーダーをとる、料理をだす、下げる、チーズを勧める、そしてデザート、コーヒー、会計。山場がいくつもあるまさに長距離走である。

対してソムリエは食前酒をうかがう、ワインのオーダーテイク、ワインのサービス、食後酒をすすめる。

多めにみてもメートルの半分もない。

特にワインは料理と違って、何を勧めるかにより信頼関係が決まってしまう。ということは勝負は最初の2・3分間となるだろう。そうなるとたとえ接客テクニックに長けていたとしてもお客様に信頼を得るにはあまりにも短すぎる。

第1印象である程度が決まってしまうのであれば、外見が重要になってくることは否めない。接客の基本は笑顔、言葉遣い、そして身だしなみ。もちろんそうだがそれだけじゃない。


*メートルドテル(仏)Maitre d'Hotel :
料理を中心としたサービスの責任者であり、お客さまに対するすべてのサービスの責任者でもある。ソムリエと兼任の場合もある。


■容姿に現れるもの

慇懃無礼な人が笑顔でいくらとりつくろっても、温和な性格の持ち主の無表情にすらかなわない。

キレイな敬語を操る人と、時折日本語が間違ってしまっている人。なぜか後者のほうに好感が持てることがある。

何の違いか。それは人間性である。その人間性は顔に必ずでるし、言葉の節々にも出てくるものだと思う。

人間性を養う。

この時点でソムリエという職業は一生をかけて高めていかなければいけないものとなっている。これはコンクールにおいても大きな大きなポイントである。

2000年の世界最優秀ソムリエはフランス代表、オリヴィエ・プッシェだった。彼は95年の日本大会にも出場していたが、そのときはコンクールマシーンといった雰囲気で親しみを湧かせるような人ではなかった。カナダで会って、話をしてみてびっくりした。とても優しい笑顔の友好的なソムリエに変身していたのである。

僕は彼の優勝はこの5年間に吸収した知識のおかげではなく、その人間性からだと信じている。

 

■準備と言い訳

最後のポイントは準備についてである。

コンクールの会場で必ずでてくる話題は準備不足についてである。

「朝9時から夜12時まで働いているから」

「本の出版ですごく忙しかった」

「自分の店をオープンさせたばかりで」

これは世界大会での話でもある。プロゴルファーみたいに成績を残せば優雅に生きていけるというならいいのだけれど、ソムリエコンクールはステップであって仕事ではない。他に大事なものがたくさんある。現場、外での仕事、友人、家族。それはみんな同じ。

でも、でも、である。イチロー選手は、

「準備というのは、言い訳の材料をなくすために考え得るすべてのことをこなしていくことです」

と言っている。いつも心に繰り返すようにしている。

準備ができていれば、少ない人数でも多くのお客さまにいいサービスができる。しかしそれができていなければ、数件のお客さまにだってサービスは追いつかなくなってしまう。

「人がいないから」

「スペースがないから」

そして「時間がないから」といった言い訳はは準備によって潰していけるもの。

それは言うほど簡単なことではないのだけれど、そうありたい。

毎日のブラッシュアップ、プロ意識、人間性、そして準備。これらをコンクール当日、いかに最大限引き出せるかは集中力である。コンクールでよい結果をだす人というのはいつも集中力に満ちた顔つきをしている。集中力はときに自分の実力以上のものを引き出してくれる。

 

■本当に大切なこと

大権威のように偉そうに書いてきたけど、これが世界大会の準備期間、当日、そしてその後に僕のなかでできあがった一つの哲学である。そして今、もっとも強く感じているのは、コンクール前、結果と同じくらいに大事なのはその後であるということ。

コンクールでの華々しい成績はいわば花嫁にとっての披露宴のようなもので、次の日から始まる日常にその夢のような舞台の続きは用意されていない。自分をとりまくすべてはなにも変わっていないのである。

日本(世界)最高峰という舞台から戻ってきた浦島太郎は理想と現実とのギャップに戸惑うことになる。

それは誰が怠けているわけでも悪いわけでもなく、強いて挙げるのであれば、仲間の協力や応援も理解しないまま粋がっている「優秀ソムリエ」がそのイライラの原因であろう。

いいサービスが一人でできるのは舞台の上だけであり、レストランではチームがあってこそなのである。

でもそれはコンクールなんて終わったら忘れてしまえ、ということではない。大事にするべきだと思う。コンクールを「やらせ」にしないために、コンクールで行ったサービスや反省、身に付けたことを現場で最大限にフィードバックしないといけない。

 

■身に付けたこと

これはコンクールで勝ち上がることの最大の意味だと思っている。本選に残ると普段ではなかなか会うことのできない先輩や仲間たちと話すことができる。この時の会話はそれからの自分に何より大きなものを与えてくれる。

コンクール出場においてもっとも大切にしたいのはこの素晴らしい邂逅である。

 

■Dear Sommelier

現場に戻り、コンクールがもたらしてくれた経験やプライドを一気に100%表現してしまうと周りは引いてしまう。プライドはできれば内に秘めておき、つまり自分に向けてもつべきもので、そのほうが何かと上手くいくような気がしている。

自分の仕事に対しては高いプロ意識をもちながら、周りのスタッフと調和を保てるよう、少しずつ自分のレストランを発展されることができれば、それは本当に素晴らしい。

以前、「ミス日本はいつまでもそのタイトルをプロフィールに載せているんじゃダメなんです」と聞いたことがある。タイトルは常に更新されていくべきということである。

とても大切なことだと感じている。「燃え尽き症候群」なんかにかかっている場合じゃない。いつもその次を目指していきたい。それはコンクールには限られていなくて、人間としてのさらなるブラッシュアップというかたちでも表現できると考えている。

タイトルにいつまでもすがるでもなく、過去の栄光にもしないように。

自分に向けられる肯定と否定をポジティヴに受けとめながら進んでいきたい。

華やかな仕事、地味な仕事。

金になるもの、ならないもの。

コンクールの明暗と現場の明暗。

こういった光と影の難しいバランスを保っていく。

それでこそソムリエ。

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