
■ブショネとは
(英)コルキー。
文字通り、コルクが原因でおこるワインの障害である。コルク樫に含まれるある成分が密閉された高湿度の環境下において(つまりボトルの中)、TCAとよばれるものに変化するとワインに《カルキ、傷みかけの野菜、ぬれたブロック塀》のような香りを与える。
さらに味わいのバランスもくずれ、ざらつきがでてくる。またコルク製造の際に殺菌として使われる塩素によってもブショネはあらわれる。
「お味見を」に対して、「わからないから……」といって、ホストテイストを省略されるお客様は少なくない。わからないことはない。ブショネのワインは必ずと言っていいほどボトルは空にならない。どこかで美味しくないと、どこかおかしいと気づいているものである。
好みは抜きとしても、なんかおいしくないなと思ったら勇気をだして言ってきて欲しいと思う。
あとで「あそこ、あまり良くないよ」と言われるよりはよっぽどマシだから。
■罪と罰
誰のせいか?
ソムリエ? 「No」
保存状態や抜栓の仕方では影響はうけない。
インポーター? 「No」たとえ輸送過程で直射日光にさらされたとしても、酸化こそあれ、ブショネにはならない。
造り手? 「No(もしかしたらYes)」
丹精こめて造ったワインがおいしくないと言われ、時には処分されてしまう(ちなみブショネでも料理には使えます。気分はあまりよくないかもしれないけど)。でもなかには蔵付きブショネと呼ぼうか、熟成中にセラーの壁のカビや建設材料などの影響をうけ、ブショネになってしまう例もある。
出荷前にブショネ(大量の)を発見し、出荷をキャンセル、回収をする心ある造り手もいる(ベガシシリアは昨年、多くの回収をしている)。
■需要と供給
トゥールダルジャンでは、ブショネ(つまりロスした)ワインをチェックしているが(どこでもやってるかな)、多い週だと毎日1本はでている。平均しても2-3日に1本の頻度にはなるだろう(トゥールダルジャンはディナーしかないので開けるワインの本数は多くても1日に30-40本)。
なぜこんなに頻繁にブショネがでるようになったかというと、理由はいろいろありそうだけど、まずはコルクの需要と供給のバランスが崩れていったことだと思う。
昨今、フランスでもワインの消費量は減り、量より質へと変換していっている。当然、紙パックよりはボトルへ、スクリューキャップよりはコルクへ。
また近年の目覚しいワイン産出国の発展により高級ワインの生産量が増え、もちろんワインはコルクで栓をしたボトルの中へ。
つまりコルクの需要があがることにより、そのしわ寄せはコルク樫に集まる。
コルクは学名Quercus Suberという樫の樹皮をはがして、そこから作られる。ポルトガル、スペインが主な産地だが、南フランス、アルジェリア、モロッコなどでも作られている。
樹齢25年以上のものから採取ができるが、一度はがすと次の再生まで10年はおかなければならない。その期間が長ければ長いほどコルクの品質はあがる。
しかし増えつづける需要に応えるため、必然的にその期間は短くなる。コルクの品質の劣化である。
ということは、ブショネはコルクメーカーのせい? やっぱり「No」
顧客(生産者)からのオーダーに応えようとする姿勢を責められようか。
では、なぜコルクにこだわるか。長期熟成を目的としない場合コルクの必要はないのに。
ワインはやっぱりコルクが一番と考える生産者。そしてコルクじゃないと安っぽいと買ってくれない消費者(酒販店、ソムリエも含む)。そんなみんなの動機のひとつひとつが少しずつ罪となっているのである。
とはいいながらも今日も僕らは高級ワイン(コルクを使ったワイン)を発注して、お客様に勧めている。その結果、また、ブショネは増える。
「ブショネしたワインの約90%はそうとは知らずに飲まれている」とある人は言っている。ブショネをみつけるのはそれだけ困難ということである。お店でワインを買う場合、味をチェックしてから渡してくれるなんて、ありえない(洋服は試着できるのに。でも方法はない)。
さあ、飲もう! というときに、はじめてわかるのである。プロでも難しいのだから一般の方にわかれというのは無理というもの。
レストランではお客様にサービスをする際にソムリエがテイスティングをしてブショネのチェックをするのでそれがお客様の口にはいることはない(そうあるべき、そうありたい)。
お客様がワインに興味が全くないとしてもブショネワインは出さないほうがいい。先述のとおり、それはおいしいとは決して思ってはいただけない。結果として、「あのお店、なんかおいしくなかった」、そして「あの店、あまりよくなかったよ」となることもあるだろう。
お客様を1人失うくらいなら(その方が友達に言ってまわったり、ネットに書き込みでもしたりしたらあっという間にその数は膨れ上がる)、ワイン1本捨ててしまったほうがマシである。
たとえもうワインを飲んでくれなくても、また来てくださるだけで店にとっては大きなメリットになるから。
ではいつでもブショネは交換され、健全なサービスがおこなえるか。
そんなに簡単なことでもない。
■本音と建前 ―Chateau Lafite Rothschild 1982―
何年も前のことだが、シャトー・ラフィット1982のブショネに出会ってしまったことがある。お客様にとって超高価なワインであるが、お店にとっては大事な資産でもある。
「どうしようか」
ソムリエテイストのふりをしてもう少しだけワインをグラスにとり、上司に確認を求めた。すると、「これはブショネじゃない。出すように」との指示。もちろん、食い下がった。
「絶対にワインは残る。美味しいはずがない」
どころが食後、「『美味しかったからラベルください』ってよ」とその上司は勝ち誇って言った。
今でも、あれはブショネだと思っている。でもボトルはきれいに空になった。
天覧試合で長島にサヨナラホームランを打たれた村山投手のような気分である(氏は最後まであれはファールだと言っていた)。
ワインファンの方は僕に同情してくれるかもしれない。でもソムリエとして間違っていたのは僕のほうであると最近は思っている。
お客様はその対価にみあうワインを楽しみ、店には大きな売上となった。ご満足のお客様にとって唯一の不備は、注文したワインがなかなかサービスされなかったことである。
本物ばかりを追っていったからといっても、必ずしも報われるわけではないという人生のよい勉強。
ワインファンの大敵、ブショネをテーマにした今回のコラム。僕のブショネ体験、そしてサービスのジレンマ、ソムリエとしてのあり方について次回さらに話は発展していきます。お楽しみに。
《次号は11月27日(火)更新予定です。お楽しみに!》





