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このコラムではいつも一つのことをテーマにして、広げて掘り下げて書いてきました。今回はそんなに長くない、でも僕にとっては“そういえば最近こんなことばかり言ってるな”っていうことについてのショートコラムをいくつか並べてみたいと思います。
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【分をわきまえる】
――― 一流のサービスマンである前に一人前の社会人になってほしい ―――
総支配人の渋谷さんはベージュのスタッフにこう願いました。それで、“一人前の社会人って何だろう?”って考えてみて、でた答えが、“分をわきまえる人”ということでした。
古臭い言葉ですがすごく大切なことだと日々実感しているんです。それはただひたすら慎むということでも自分を卑下して捉えるということでもなく、自分の立場や責任と役割を正しく理解するということです。その“分”の範囲で最大限に自分ができることを実行、実現させてゆくことなんです。
組織(=チーム)のなかで働いてゆく上で、ストレスがあるとすれば、それは分をわきまえることができていないからだと思います。上司も部下も、先輩も後輩も、関係者も、もちろん家族のなかでも。然るべき振る舞いをよく判らないまま行動すると、必ず互いにストレスを生みます。特にそれは“分をわきまえること”と“差別や不平等”との違いを理解していないとそのストレスや不満は倍増されます。“自分はどこまでやるべきか。どこからが自分の範囲を超えたものなのか”、このことに対する理解が必要なんです。
ニューヨークヤンキースの松井選手が新聞でその“分”について触れていました。それはチームの状況や戦況、打順、自分のコンディションを十分にわきまえた上で、ベストのプレイをするといったようなことでした。小柄な2番バッターがホームランを打ったり、サッカーでディフェンスがさかんに前に出てきてシュート打ったりすることが、“分をわきまえない”行為なのであり、逆に投球数が100球を超えても“大事なゲームだから俺が投げる”と交代を拒否することや、劣勢のチームを発奮させるため、ムリな位置から強引にシュートを打つストライカー、これは“分をわきまえた”行為といえるのです。
階級意識が希薄になった現代こそ、必要な感覚だと思います。
“分をわきまえる”。
雑な人間関係の上に成り立つ社会で生きてゆく上で、これをすべての判断と行動の基準として、理解を深めていきたい。
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