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7月、ディナーのサービス中、結構お客様が入っていて楽しく働いていました。そこへ電話が入りました。渋谷さんからです。ちょうど少し前にエンリコ*を交えて一緒に飲んだばかりだったので、“また飲みの誘いかな”と思って、「こんな忙しい時間になんですか?」って冗談ぽく電話にでると、「ああ、ごめんなさい。あの、そっち(ベルヴュー)に行ってもいいですか?」と丁寧に返されてしまった。
*エンリコ(・ベルナルド)2004年世界最優秀ソムリエ
一段落した9時過ぎに渋谷さんがみえた。
「僕はもうずいぶん前から(ソムリエとしての)現場にいない。実はシェフ・ソムリエで誰かいい人いないか教えてくれませんか」。ピンとくる顔はすぐに浮かばなかった。そしてダイニングマネージャーもまだ決まっていないとのこと。
一緒に軽い食事をしましたが、その後は何を話したかはあまり覚えてない。
「店をかえませんか?」との渋谷さんからの提案でホテル近くのバーに行って、ビールを数杯。アルコールのおかげで段々盛り上がって、僕から「ダイニングマネージャーに興味があります」と思わず言ってしまっていた。
「石田さんが希望するなら、僕はウエルカムです。そしたらソムリエの心配もなくなる」と言ってくれました。そして「すでにいいメンバーが集まっているし、もしかしたらヤンキースやレアル・マドリッドみたいになれるかもしれませんね」と続けられた。
この話は僕にとって、いくつかの点でとてもタイムリーだったんです。僕は、“10年でここを(ニューオータニ)辞める”という目標をもっていた。それはきちんとした能力をつけて10年後にはニューオータニという看板がなくても世間に通用する人間になっていたいという意味だ。
2年目に英会話を覚えて(とはいっても簡単な日常会話レベルです)、3年目にはソムリエ資格をとって、トゥールダルジャンにも移って、そしてちょうど10年で世界最優秀ソムリエコンクールで3位になった。
予定ではここで“晴れて退社”でしたが、それはできなかった。コンクールのため、トゥールダルジャン総支配人クリスチャン・ボラーさんをはじめ、周りの方々から本当に協力していただいたからです。“恩返しの3年”にしようと何ができるかを考え、貢献というものに焦点をあててました。
そしてその3年目に今度はベルヴューの支配人を務めることになった。そして、“もう3年は……”となった。
それが今回の話で、“当初の目標は10年だったよね? もう5年過ぎているよ”と思い出させたというんですかね。“あー、そろそろだよな”と。
もう35歳だ。今後は年々動きづらくなるに違いない。40を過ぎてしまって、まだニューオータニにいたら、もう出る気力も薄れているだろうし、身動きもとりづらい。決して居心地が悪いわけではないけど、終身雇用に身を預けたくはない。
時々、“ニューオータニを辞めて正解だよ”と言われますが、僕はそうじゃない。“ここがいやだから辞める”という考えは好きじゃない。そんなネガティヴな動機では上手くいかないと思っているんです。移ったら移ったで、いやなところがすぐに見え始めます。同じことでしょ。
“やりたいことがある。あそこで働きたい”が動機でありたい。やりたいことだから、辛いことがあっても耐えられる。遊びと同じでしょ。スキーなんか苦労だらけじゃないですか。夜もろくに寝ないで出発。延々ドライヴの末、雪の中をチェーン装備の作業。足に負担のかかる靴を履いて、転んだり、足をくじいたり。帰りは猛烈な睡魔と闘いながらまた延々ドライヴ。でも“スキーをやりたい”があるからそんなのなんとも思わないし、続けていけるわけでしょ。
すいません、話がそれました。とにかく、“やりたい”が大事だと思ってます。
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