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『田崎真也のワインライフ』、覚えていますよね?その連載に田崎さんを中心とするソムリエチームによるブラインドテイスティングの企画があったんです。例によって、“田崎一派”が集合。そのコメントやランキングは出版されるやいなや大きな影響力をもちました。
そんな折、他誌の同企画(ブラインドテイスティングのよるランキング)に数人のメンバーが参加しました。業界ではタブーだそうですね。田崎さんはもちろん、担当や出版社の方もみんな大激怒。その方々はすぐにメンバーから外されました。
その一件で、
“メディアにでるって、慎重さが必要だ。調子に乗るとまずいんだな。僕のフィールドじゃないな”
そう思うようになりました。
初めての世界大会。前回優勝という日の丸の旗を背負ってウィーンに乗り込みましたが、あっさり予選落ち。“ブーイングだよな”と失望とこれからの不安にかられていました。でも実際は違いました。会う人、会う人に褒めたたえられました。帰ったらすぐワインスクールの対策講座をうけもつことになってたんだけど、“石田さんはいつ(クラスの講師を)やるんですか !?”といった問い合わせが相次いだと聞きました。
理由はメディアでした。
帰国して、まもなく『情熱大陸』が放映されたんです。コンクールのドキュメントという内容ですが、インタビューは1回、あと時々ひと言求められただけだったんです。内心、“これじゃあ(予選落ち)、番組になんないよな”と思っていたんです。それがすっかり感動のドキュメントになっていて。ののしられても致し方ない結果だったにもかかわらず、メディアにより大健闘になっていたのです。もちろん気分はよかったけど、素直に受け入れることは出来ませんでしたね。だって、結果は全然だし、『情熱大陸』のあのソムリエは本当の僕じゃない。“ファンなんです”といわれても、“何が?どうして?”って感じなんです。
やはりこれまでの教訓どおりその後の取材も慎重に選びました。
自分に、自分の職場やソムリエという職業にメリットのあるものだけに対応するようにしました。当然、断った取材は他の方へいき、取材依頼は除々に減っていく。少しさみしさもありましたが、
“ソムリエの仕事はメディアにでることじゃない”、そう言い聞かせていましたよ。
レストランの支配人になってからが、ソムリエ以外の仕事にも追われました。その大切な仕事のなかに販促、広報、広告というのがあります。販促アイディアをいろいろと考えるのは得意だし、好きなほうなので(というかソムリエのスペシャリテですよ)楽しくやりました。でも広報のほうは……、ここまで読んでいただければもうわかりますよね。
プレスリリースを出しますので、2ヶ月前までに撮影して、詳細を決めて……と言われても、“そんな必要ないじゃない。メディアは(多くの場合)本質を伝えるわけじゃないんだから”とあんまり本腰を入れませんでした。
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